座和のゴルフ遍歴、コースデビュー編では、突然のラウンドになった初体験、それがいきなりバタバタの接待ゴルフだったことを書きました。
それから時は過ぎ、いっぱしの「接待ゴルファー」となった私は、100前後でラウンドするようになります。100は切れたのですが、いったりきたりで、あまり100を切った日のことは覚えていないくらいです。
そんな私が、上達に燃え出した頃の話を書いていこうと思います。
序章
これは誰しもが思う、「上手くなりたい」が強くなったころの話です。
それは、スコアが100前後、20代後半から30代前半のころだったと思います。
それまでは、いわゆる「お付き合いの接待ゴルフ」や「社内コンペ」が多かったのです。
ですから、100前後でまわって、特に不満もありませんでした。
不思議とゴルフは、100前後のスコアで「何となく安定」するんですよね。
そんなとき、何となく、「もう少し上手くなりたい」って感じになったのです。
お付き合いでゴルフをしても、社内コンペでも三ケタと二けたでは印象が違います。
当時は参加メンバーによっては、90台でベスグロなんてこともあったのです。
ですから、目標は、「アベレージ90台」。
その頃はスクールも身近になかったので、ひたすら自己流で本を読んで勉強。
先ずは、練習を定期的にやろうと思いました。
というか、それまでは、本番の前日しかやってなかった。(^▽^;)
・・・これじゃぁ、アベレージ90台は難しいですよね。
ということで、毎週土曜日の午前中をゴルフ練習の日と決めました。
その頃は、今のストロングロフトと違って5番アイアンが真ん中のクラブって風潮でした。
・・・今で言う、7番アイアンに相当すると思います。
ですから、何だかひたすら5番アイアンを打ってました。
それから、3番ウッドとピッチングウェッジ。
・・・ドライバーがどうしても上手く打てなかったから。
パーシモン後期の時代です。
すると不思議なもので、この3本だけ打ってれば、100切りが出来ることがわかったのです。
ティーショットは3番ウッド、次は必ず5番アイアン。
パーオン出来ないので、その次は必ずピッチングウェッジ。
パー5は、3番ウッドで打ち、5番アイアンを2回打つだけで対応が可能。
パー3は、5番アイアンから距離を逆算して引けば良い。
当時は5番アイアンで150ヤードだったので、引き算ですね。
それに、これ以上の距離があるパー3って、あまりなかったのです。
これを続けて、半年ほどでしょうか。
自然と90台でラウンドできるようになりました。
ただ、当時も練習で打つ球数は少なかったので、1回につき150球くらいです。
100球を5番アイアン、残りの50球をスプーンとピッチングウェッジ。
何だ、これで90台っていけるんじゃないか。
巷で言われるほど、ゴルフって難しくないじゃん。
コンペで優勝したりして、「プチ鼻高さん」になってました。典型的な井の中の蛙です。
でも、人間って、欲や見栄があるのですよね~。
一旦この時点から、停滞期に入ります。
アベレージゴルファーからの脱皮
本格的に、燃えたのは、アベレージ90台になったころ。
第2弾と言う感じでしょうか?
この時期くらいから、本格的に「上手い」と言われたくなりました。(^▽^;)
つまり、「コンスタントに80台が出せたら良いなぁ」って感じです。
それで、自分なりに考えて練習に励みました。
ちょうど40代も半ばになったころの話です。
時代は、ドライバーもちゃんとしたチタンになっていました。
まず、強化したのが、芯に当てること。
もちろん、それなりには当たっていたのですが、精度を高めたい。
ですから、これもある本を読んでなるほどと思い、始めたのが、
8番アイアンで100ヤードを打つ練習
ハーフショットとスリークオーターの中間くらい。
ティーアップしたり、マットの上から打って、芯を食う感覚を磨きました。
すると、6番アイアンから下の精度は上がりました。
5番アイアンだけ上手く打てませんでしたが仕方ない。
3番ウッドは元々得意だったので、問題なし。
一番の課題は、ドライバーだったのです。
3番ウッドの満足度を100とすると、ドライバーは50くらい。
当たれば飛びますが、半分は当たらないし曲がる。
自己流の悲しさゆえ、今思うとスイングもへんてこりん。
それでもアベレージ90でまわる人間が、ドライバーは封印をできなかったのです。
ですから、このあたりの時は、スコアが逆に100を超えてしまうこともありました。
悔しかったですし、逆に、「ゴルフが難しいってこれか」と実感しました。
試行錯誤を始める
燃えてきたと言っても、浅はかな自己流なので、今で思うと、ポンコツなパターンも。
8番アイアンで100ヤード打つ練習は、何となく意味があった気がします。
逆に、思い返すと、それに何の意味がある?って練習もあったのですね。
例えば、雨のグリーン攻略。
雨のグリーンは滑るとか、重いって話ではありません。
ある日突然、「雨のグリーンも攻略しなければ!」って思い立ったのですね。
今思えば、現場でそんなの調整すれば良いのに、実践したのは、雨の日を選んで練習場に出かけて、ひたすら転がすでした。
ホント、今思うと、何故そんなことをしたのか、理解に苦しみます。
同時に、わざわざかっぱを着て、素振りなんかもしてたのです。(;^_^A
多分、当時は、「雨対策だって練習してんだぜ!」って自己満足だったと思います。
そんなことより、やることはたくさんあったのにねぇ。
自己流って、考え方も異質だと自分でも思います。
それでも、考えてする、また、できるのがゴルフの良いところ。
結果的に遠回りになりましたけど、この「考える習慣」が大切だと感じます。
アホくさい試行錯誤も、今につながっていると思うのです。
競技ゴルフへのレビュー
燃えていたころの話は、もう一度、まじめ編に戻ります。
ちょうど、90前後の腕前で、ハンディキャップを取得したころ。
そう、競技へのデビューです。
とは言っても、まずは敷居の低いやつってことで、出たのが、アンダーハンディキャップ競技。
これは、オープンコンペの延長線上って感じです。
それに、ハンデ20とかだと、それを公表し、プレーしてるようなもの。
ですから、気楽と言えば、気楽なのです。
それでも、競技には変わりない!
競技者の当日は、かくあるべきか?
そんなことを考えて、2時間前にはコースに行ってました。
ストレッチもしっかりやったし、練習もしっかりやる。
今ではそこまでしないのですが、ちゃんと、駐車場で走ったりしてましたね。
振り返ってみれば、やっぱり、それだけ気合も気負いもありました。
アンダーハンディキャップ競技では、優勝したりして、違う楽しさを味わいました。
そして、いよいよシングルプレイヤーへの道を目指すことになります。
コメント
座和さんこんにちは。
なるほどそういう練習をしていたのですね。素晴らしい‼️
>まつしま。さん
こんにちは。
うーん、どれもこれも自己流なんです。
試行錯誤の繰り返しだったですねぇ。
今でもそうですけど。
それだけ、修正力は高まったと思います。